(株)ビーチュー 雨宮伊織さん

自然の中での子育てと田舎暮らしを求めて、2009年春、東京からUターン。

富士見町出身。大学進学とともに富士見町を離れる。
東京のWeb制作会社にてWebディレクターとして勤務後、 2009年春、家族とともにUターンし、Webコンサルティングの仕事を始める。39歳。

いつかは帰るであろう富士見町。でも、きっかけは? 理由は?

山や川、自然の中が遊び場です。
大学入学を期に、生まれ育った富士見町から千葉県へと上京。大学卒業後も、富士見町には戻らず東京で就職し、都会での生活も便利で楽しいものだなと、思っていました。 今までは手に入らなかった情報やモノが街のあちこちにあふれている東京。新鮮でもあり不思議でもありました。 仕事や遊びに追われ、富士見町に帰るのは、年に1~2度だけ。そんな年が十数年続きました。

東京でマンションに住むのは肌に合わないなぁ、子供は自然豊かなところで育てたいなぁと、漠然とは感じていましたが、そう思ってはいても、 人生の方向を大きく変えるきっかけや自分の中での「帰る理由づけ」がなかなかできず、日々の忙しい暮らしの中にいました。 (地方から来ている方の中には、そういう方が多いのではないかと思います。)

ちょうど、富士見町と東京との暮らしが人生において半々になる36歳の頃、妻に出会いました。 そして娘を授かり、そのことが暮らしの方向を大きく変える転機となりました。

終電で出会った、塾帰りの小学生。

娘が産まれてから、今までは気にも止めなかった都内の子供たちの生活が、なんとなく気になるようになりました。 職場は表参道。朝早くからバレエ教室に通うため髪を整えて奇麗にした少女や、サマースクールに通う子供たちと行き交います。

そしてある日、いつものように遅い電車で帰路につくと、なんとこんな時間だというのに、 塾帰りであろう小学生が疲れた面持ちで重そうなカバンを抱えイスに座っていました。

「うちの子供には、こんな子供時代を送らせたくない!」

そして、富士見町へ帰ることを決めたのです。 幸い妻は、結婚当初から富士見町に帰る事には大賛成してくれていました。 息子も生まれ、一家4人での富士見町生活が始まりました。

収入は大幅減、ストレスも大幅減。そして、子供たちとの時間が激増。

富士見町に来て、子供と遊ぶ時間が増えました。
富士見町に戻り、ITコンサルティング会社を立ち上げました。 ITの世界は学校を卒業以来ずっと関わっていた事なので好きでしたし、東京も地方も関係なくネット上の同じ世界にアクセスできますので、 東京で培ったインターネットによるマーケティングの知識を富士見町でも活かして行こうという考えです。

インターネットの世界は、ここ最近、地方や個人・中小企業にとって非常にメリットのあるサービスや環境がどんどん生まれてきています。 今後ネットを通じて、地方や田舎、そして富士見町が少しでも良くなるようなお手伝いができればうれしいと思っています。

もちろん、東京にいた時に比べると収入は大幅に減少しました。
それでも、子供たちの笑い声を聞きながらコンピュータに向かう毎日は、ストレスもなく、嘘のように肩こりもなくなりました。
そして、何よりも、子供たちと遊ぶ時間が激増しました。
東京にいた頃は、朝起きてから出勤するまでの1時間と、帰宅してからのわずかな時間しか子供たちと過ごす時間がありませんでした。 仕事が忙しい時期は終電帰りとなり、ほとんど顔を会わせない日もありました。

でも今は、夕方5時半には必ず仕事を切り上げて、子供たちが眠る21時まで、一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、絵本を読んだりと、たくさんの時間を子供たちと過ごすことができます。 週末は山や川へと出かけ、夏には夏の、冬には冬の遊びを子供たちと一緒に楽しみます。 朝晩のご飯を子供と一緒に食べるという、当たり前の暮らしができることが、とてもうれしく思います。
たとえ、朝2時、3時に起きて仕事を片付けなくてはいけなくても、子供たちと過ごす貴重な時間は、富士見町に来て得た宝物です。

真価を問われるのはこれから。それでも、やっぱりのんびり行こう。

富士見町で、家族でのんびりと暮らす。
収入が減少し、不安がないわけではありませんが、 あまり切羽詰まった気がしないのも不思議なところです。
もちろん、父として一家の主として、稼がなきゃいけないとは思っているのですが、もうちょっと仕事を頑張ろうかなぁ・・・と思うと、 横で妻が「コメとみそがあればなんとかなるよ。ハッハッハッ。」なんて笑っていたりするので、出鼻をくじかれてします。

確かに、東京にいた頃とは価値観が違ってきているように思います。

年収がいくらなら安定した生活が送れるといったような、お金を基準にした物差しではなく、家族と一緒に過ごす時間や、食べもの、暮らしている環境やなど、 お金とは別な物差しで暮らしを考えるようになりました。家賃も安く、米や野菜は自分たちで作ればなんとか食べて行ける富士見町だからこそ、お金以上に大事な物がみえてきたのかもしれません。

子供たちが成長し、一緒にお酒を飲みながら話すのが今から楽しみです。自分と妻は、暮らしの舵を大きく切って富士見町に移り住みました。 大きくなった子供は、そのことをどう感じるのだろうか、と。
子供に「富士見町で暮らせて良かったよ」と言ってもらえるように、それまでの間、仕事も遊びも頑張りながら、それでもやっぱり家族みんなでのんびり暮らしていこうと思います。

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